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2003年
1月1日
チベット高原初等教育・建設基金会会報
第
06号(秋号)
THE
GE-SANG
FLOWER
ゲーサンメト
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謹賀新年
旧年中いろいろお世話になり、ありがとうございました。
今年もよろしくご指導、ご協力お願いいたします。
二〇〇三年元旦
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「猫とおじさんと少女と赤い空」
伊東玲育
「中国の年越しはまるで戦場のようだった」
空は空で冷たい空だった。そして、あの時、見た空より今は驚くほど空虚な感じがする。半年前に僕はチベットの真冬の空にいた。数ヶ月を経た今になって、その時見たチベットの空についてやっと話せる気がする。
一月二三日の大晦日(中国の旧歴)、僕はチベットに向かう途中、その入り口となる一歩手前、四川省濾定にいた。町はやけに静まり、人々は家族とともに家の中でごちそうを食べていた。僕は友人の家を訪れその家族の輪の中にいれてもらい初めての中国の年越しと正月を味わった。三日ほどだが、あまりにも長い時間だった気がする。
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巡礼をしているチベット族の女性たち
撮影:伊東 玲育
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夜も深まり特別の午前〇時が近づくと家族達は前の日に買っておいた大量の花火をおもむろに持ち出し、外の路地へでた。もちろん僕もその後に続いてその時を待った。遠くで鐘の音が響く。やがてその瞬間がくると、夜空に向かって町中の人達が花火を打ち上げた。大人は爆竹(長さ約五センチ、太さ約一
.五センチ)を、少年の手にはロケット花火(五〇連発)、少女の手には可愛いらしく回る花火(ネズミ花火のデカイ版)。町中が火薬の匂いと爆音で溢れたのだ。日本の花火大会しか知らない僕にはこれはもうまるで戦場のようだった。こんなにも心に響く音はかつてなかった。僕の中で何かが吹き飛ばされた感じがした。躰の真ん中に風穴が空いたように空しかった、四川語を全く話せない僕は言葉を呑み込むしかなく訳もなく淋しかった。自分の中の弱さに突き当たったからなのだろうか?今まであまりにも、平坦な環境にいたのだと感じたからか?だが、夜空に飛び交う火花が嬉しかったことには間違いない。
僕は新鮮な気持ちで花火に見入っていた。花火を見ていると、どんな淋しさもいやされる。そんな気がしてきた。空に舞う火花が星のように見え、一点しか見えなくなってきた。人はいつからこんな星をつくることが出来たのだろうか。町中の人達がいっせいに夜空を見上げている。今年もよい年になりますようにと願いを込めて打ち上げている。明るい夜の下、人々の顔があたかも星に照らされて輝いている。僕はその顔の一つ一つに嫉妬した。
空に星があるのは夢を見るためなのかもしれない。本当は花火では夢は見れない、すぐに消えてしまうから。何も飛び交うことの無い空の下で星だけをみながら夢をみたいな。
「夢を詰め込むか、火薬を詰め込むか」
そしてその翌日、僕はチベットに向かった。相変わらず空気が薄い所だ。一昨日の花火がまだ夢のような幻を見ている感じで残っている。それにしても冬のチベットは空が本当にキレイだ。吸い込まれるような青空だ。乾燥した地面がまぶしく、真っ直ぐ射す太陽が目にしみる。高山病の僕の頭の中では理解できないものばかりだったが、良くも悪くもそれが僕にとって幸せな時間であった。何もせずにただ歩いている自分が、たまに苦しくなる時があるけれど、歩ける自分に幸せを感じる時もあった。誰とも会話が出来ないのだから、せめて歩いていたい。そう思うしかなかった。そこに止まっていれば自分がダメになる歩けるなら歩いていたい。あの山の上に行けば何かある、夜中にふと淋しくなり歩き出すこともあった。あの月を眺めながらここにいてはダメだと何度となく思った。そして、一昨日の花火すらも疑い始めた。あの日、僕の心をいとも簡単に吹き飛ばしたあの花火は何だったのだろう。人はこの世の終わりが近づいても花火を上げるのだろうかと。花火など上げて何になるんだと。生きている実感がそんなにしたいのか。空に向かって人は何を想像するのだろう。空に向かうしか無いのか?終わってしまう花火に人は群をなし、線香花火ではモノ足らず火薬を詰め込む。そんなに花火が愛しいのか。そして、愛しいものなど無い自分が逃げ場を探してした。空を見ているだけで嬉しいなどと、心の内で思う自分のくだらなさ。花火のようにすぐたち消えてしまうはかなさの美など手にしたくないなんて思う。
夕方、僕は町の外れにある温泉まで行った。車で約一時間ほどだ。日が暮れると同時に遊牧していた人達がぞくぞくと町へと帰ってくる。今まで見ていた青空がだんだんと赤く染まっていっていた。しばらくして一つの家が見えてきた。その家の隣に温泉がある。何ともいえず、木で囲っただけの温泉だ。僕は温泉に来たのだが、高山病がひどくなってしまったため、温泉には入らず散歩する事に決めた。そして、僕は一つの洞窟を見つけた。その中では猫を抱いたおじさんが座っていた。僕は、遠くからじっと見ていた。すると紺色のチベットの衣装をまとった少女が僕の近くに寄ってきた。そして彼女は僕をじっと見ていた。少女の瞳は黒く、そして、チベットの強い日差しに焼かれた真っ赤な頬を覆い隠しながら、その黒い瞳で彼女は微笑んでいた。永遠に離れることのできない視線だった。小さなピンクの髪飾りをつけ楽しそうに踊り、僕を笑かした。僕もまた、久しぶりに心が踊った。チベットの冬の夕方はキレイだ。いつのまにかおじさんが抱いていた猫は居なくなり、少し上がった丘の上で赤く染まった空とたわむれながら僕らを見ていた。猫とおじさんと少女がまだ見たことのない赤い空へと変わっていった。明るい月が空に昇り始めたころ僕は町へ戻った。
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理塘の街に向かう僧侶たち
伊東玲育 撮影
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「絶対、飛行機の飛ばない空」
次の日、僕はいつも立ち寄っている寺へ向かった。ここへ来てまだ二日目、だが相変わらず高山病は治らず頭が痛い。でも、僕はどうしても歩きたいらしく寺へ向かった。
すると、遠くの方から人が歩いてくるのが目に映った。真っ直ぐにこの傾斜を登る姿が美しく見えた。白く光った道の上を祈りを込めながら歩いていた。空と大地に祈りを捧げながら、自分の未来に祈りを捧げていた。そして冷えきった青空はいつも彼らに未来を探してくれていた。僕は、苦し紛れにチベットの青すぎたこの空に何があるというのだと問うた。何もないではないか?空でも
なければ海でもない。青すぎる空は僕の想像をかき消して行く感じがした。何ひとつない空のしたであなた達は生きている。いや、もしかしたら何も無いから祈れるのかもしれない。空に何かあると言うことは嘘なのかもしれない。ここは、絶対飛行機は飛ばない。何故か、僕は、素晴らしいと思った。
空に人が舞えば米粒にも満たないほど、人なんてちっぽけなものだ。チベットでは人が小さく見える。それは別にこのチベットの大地が特別大きい訳ではない。ここにいる人達がこの大地より小さいだけだ。僕らはあまりにもずうずうしく歩きすぎている。僕らは、ビルも家もマンションも全て等身大でものを考えている。しかし、それも崩されてしまったが。本当は人なんて最も小さいのだ。人が生きれる所など小さなものだ。
「空白は自由よりも贅沢な祈り」
そして、いろんなものが飛んでいる空に向かって、すばらしい世界が待っているんだと思い込んでいる僕らが無惨であった。バカバカしい箱に入ってしまったすりきれた僕らには、決して分かることが出来ないのかも。今、廃棄ガスに染められた空の中で手を振り、助けを求めているのは僕だ。
チベットでの2週間、空白の時を過ごした感じがした。何もない時間を持つと言う事は非常に難しい。またそれは最高の贅沢でもある。しかし、それは半年も前の事になる。現実はとんでもないスピードで動いていた。何もかもがゆっくり動いているわけではない。未来に執着しながら寛大な祈りをしているチベットではこのスピードは分からないであろう。けど、贅沢はいいものだ。僕達の贅沢はそのスピードと一緒に過ぎ去ってしまっている気がする。そう思ったのは、チベットの真冬の空が冷たく心に染みた時のことだった。
チベット仏教ってどんなの?
石原静子
寄稿も四作目、こんどは仏教の話をしよう。といっても私は平均的日本人で、家は仏教だが何一つ知らないから、かえってわかり易いかも。
うかつな話だが「ダライ・ラマって‥‥」を書いたとき、彼が僧で仏教学博士なことを失念していた。悲劇のチベットに一身を捧げた面ばかり見ていたからで、その後読んだ彼の著書がほとんど仏教の話ばかりなのに驚いた。前に書いた通り亡命後世界各地を回って講演・提言等をした記録が大部分で何十冊あるのか、日本語訳だけでも十冊は超えそうだ。そのうち多分最新は今年九月発行の九九イギリスでの講演(山際素男訳)、次は昨年七月刊でフランスの劇作・演出家との対談記だ。訳者(新谷淳一)あとかきに、フランスで十四世はテレビにも出て有名俳優なみの人気があり、文部大臣が最近三月十日(一九五九年ラサ争乱の日)をチベット人民蜂起記念日として、全市町村でチベット支援をしようと提案した(さすが人権の母国!)とあって、驚いた。どうも日本への情報の流れは、どこかで詰まっているようだ。
というわけでこの二冊に九〇年の著作も合わせて、彼の説くチベット仏教のポイントを、私の理解した範囲で伝えようと思う。この領域に暗いため仏教自体とチベット仏教の境目も不分明だが、彼によればインドから直行伝来ゆえか大小乗・顕教を含み原仏教に近いそうだから、いかはとにかく「一四世の語る仏教として、引用しつつ述べることにする。
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ラサの郊外にあるゲルク派の三大寺のひとつガンデン寺
烏里
烏沙 撮影
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まず彼によれば仏教は、他の多くの宗教と違って絶対神を持たず、従ってその伝達役もいないことが特徴の一つという。キリスト教イスラム教などに見る通り、大抵姿なく声を聞かない゛神がいて、イエスもモハメドら伝達人物が存在する。仏教はシッダルタ王という普通の人が老病死等四苦に悩んで思索と修業の未に得た悟りを周囲に語ったのであって、初めから人びとがいとしみあい安らかに生きるための人生訓的色彩が濃い。ただし一四世はこうした違いを言い立てるのではなく全宗教の相互理解と和合を望んで、各国宗教者の集まりに進んで参加し、たくさんの法話をしている。
彼の説く仏教のポイントは、次の五つまとめられそうだ。
1、輪廻転生と平等 なぜ人びとはいつくしみ会うのか。すべて生命ある者は互いの関わりの中にあり、しかも転生によって世々別の生き物になるのだから、どんな人も小さい虫さえ、どの世かに自分の父母だったかもしれないからだ。それら生命はすべて、より良く幸せに生きることを望んでおり、そうなる権利を平等に持っているからである。
1、無我――「空」を知ること 「私」は他と別に確かに在ると考えがちだが、私の身体私の心、とどこを捜しても`これが私`という究極の実在はなく、「個人とは心身複合体の持続性につけられた名称にすぎず……やがて消滅するもの」とわかってくる。生まれる前もその後も常に周囲との関わりで「私」は在り、ひとりで自分で生きているのではない。これが無我――自我を捨てすべては「空」と知ることの第一歩である。
3、菩提心――利他の心と行い 「私」は一人で、周囲にはたくさんの人や生命が在る。そこで「私の幸福のために多数の人を利用してもよいのか、それとも人びとの幸福のために私を利用してもらうべきか?」答は自明で、午後者を選べばおのずから私も平安を得てしあわせになれる。人は幼いときと老いてから否応なしに人の世話になるのだから、「その中間期に他人への思いやりを養うことはきわめて妥当な行為」なのである。
4、煩悩(輪廻)からの解脱 動物も人間も生きるための諸欲望(食・性を初め)を持つが貪欲を自制できるのは人間だけだ。欲望の赴くままに行為し他を害すれば、輪廻により報いを受ける。煩悩を脱却すればこの悪循環を断って、「静寂」の境地に近づける。
5、敵またわが師 いつくしみの心は私と縁ある人や物に向けられやすく、敵を憎むのは自然な感情だ。しかし、敵もまたどの世でか縁あった可能性があり、自分に湧き起こる怒り憎しみの醜さを鏡に写して教えてくれる師だ、と思えば心の平安に戻り保たれる。彼は中国人を憎んでいない、「悪しき行為(カルマ)を背負い」、下降の輪廻に巻き込まれた人たち、とあわれみを感ずるという。
要するに神のお告げや誰かが作った法律に拠るのではなく、この世過去来世に渡って繋がりある生命の、根元的な平等に立脚して、自己へのこだわりを捨て他に尽くすことを歓びとし、敵をさえあわれむなら、煩悩を脱し輪廻の運命からさえのがれて、平安な心、平和な生に誰でもなれる、というのだ。これは「私」のわからなさにいらだち、しかもなお一かどの人として他に仰せがれたい欲望に身を焼く現代人に、清冽な水のように訴えめざめさせる教えではないか。
ダライ・ラマ一四世が亡命以来の四十余年、チベット苦難の訴えのもましてこうした原仏教の真髄を語りつづけるわけ、私が当初持った不思議の感は、次第に解けた。彼の目にはチベット人民五百万だけではなく、地球に住む数十億人が見えているのだ。その一人でも多くが、平安な心、他人の幸せを願いわが貪欲(領土や師支配欲もその大きな一つだ)を目滅して、全世界が少しずつでも平和に向かうよう、願い努力し続ける。報復による憎悪の果てしない量産ではなく、ガンジーに学んだという「非暴力」基づき、チベットのいわば心の勝利を長い未来に望み見ているのだ、と。「深いところで人類は一つだということを出発点にするべきです。」
私にもやっと、小学校予定地見学行で出会ったチベット人たちの人なつこさが由来する信仰の深みがわかってきた。そして彼らの笑顔が世界に広がる未来を信じ、応援したい気持ちが強まってきた。
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お経を印刷しているチベット少年
烏里 烏沙 撮影
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故郷大晦日夜の「歌舞晩会」(お祭り)
烏里烏沙 撮影
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甘孜州州都康定の市場
小林進 撮影
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青高い空
烏里烏沙 撮影
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理塘県イラカ山稜4200mの峠から
小林進 撮影
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理塘県熱柯村の人々
小林進 撮影
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曲西妹も踊りが上手になった 烏里烏沙撮影
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理塘県冷谷寺からの俯瞰
小林進 撮影
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理塘県手前4700mの前子弯峠
小林進 撮影
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