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2002年4月25日号
青蔵高原初等教育・建設基金会会報
第04号(春号)
THE
GE-SANG
FLOWER
ゲーサンメト
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・2002年夏基金会の計画・
@ 今度の理事会は5月24日に鶴川のスエヒロで開く予定です、会議は小学校建設について具体的検討し、特に小学校建てる材料を用意するため、最初の資金投入や、建設工事のスケジュールを検討します。
A 基金会第3回目の小学校建設予定地視察は7月19日〜7月31日です、視察はどなたでもご参加できます、特に会員の皆様や、チベットに興味を持ち、現地体験したい方々のご参加をお待ちしております。
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小学校建設計画の策定について
烏里 烏沙
基金会を立ち上げってからいよいよ一年になり、基金会の責任者や、会員の方々はこれまで2度も小学校建設予定地視察に行ってきました。
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小学校は厳しい自然に耐えられる丈夫な建物が必要です
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四川省省都である成都から小学校建設予定地理塘県曲登郷までは754キロあり、そこにいくのに、途中で標高4000メートル以上の峠をいくつも越えて、やっと理塘県に着きました。この先は、私たちが乗ってきたバスが小学校建設予定地曲登郷に行かれないので、2度も県政府の関係者たちが中国製北京ジープ車を用意してくれました。理塘県から極端に悪い道をトレースしながら、さらに水深30〜40センチの川を車でそのまま渡渉していき、ようやく目的地に到着した。考えてみると標高が500メートル(成都)のところから標高4700メートルの峠も越えて、その差が4200メートルもあって、目的地の標高も4300メートルがあるので、環境が厳しいはずだ。
去年の夏、県教育局からもらった曲登郷小学校建設計画の青写真では、もし、6年生まで勉強する場を作ると、教室が6つは必要で、1つは40平米、合計240平米になります。寄宿制学生寝室は240平米、学生食堂120平米、教職員の宿舎9ユニット、1ユニットは40平米、合計で360平米です、トイレは40平米、学校の周囲を取り囲んだ塀は200メートル、これは現地の方々の考えで、あまり合理的ではないと思っています。規模はこれくらいの小学校をたてると、人民幣約50〜60万元が必要と思います。日本円に直しますと、750万円〜900万円くらいです。
お正月にわたしが帰国した時、成都で理塘県の四郎澤仁知事とお会いして、曲登郷の小学校建設について、意見を交換しました、四郎澤仁知事の話では、曲登郷の自然環境はあまりにも厳しい過ぎるので、特に冬になると、たいへんなので、六年生までの設備をそろえる必要がないです、いまのところは、三年生まで勉強できる場があればいいではないか、四年生になると理塘の小学校にはいって勉強したほうがいいですよと提案しました。考えてみれば、四郎澤仁知事のおしゃっている通りと思う、やはり、四年生から六年生までの勉強する場をつくると、学校の施設もかなり違ってくると思います。曲登郷でどれだけの規模の小学校を建てるかはともかくとして、子どもたちにとって、早く勉強する場があれば、一番いいではないかと思われるでしょう。
前回の理事会で小学校建設計画について、討論した結果、とりあえず、三年生まで勉強できる小学校を作ろうとなりました。
具体的な策定は以下の通り:
1.小学校の規模:
学 生教室:120平米 150人(40平米、50人に3ユニット)
学 生寝室:
80平米 40人(20平米、4ユニット
10人に1ユニット)
教職員寝室:100平米
5人(1ユニットは20平米、1人は1ユニット)
客人招待所:
24平米 (短期教師のため用意したもの 12平米、2ユニット)
共同用浴室:
20平米 (10平米、2ユニット 男女各1ユニット)
共同トイレ:
20平米
教員研究室:
30平米 (教員5人仕事ができる程度)
学 生食堂:
40平米
学 生厨房:
20平米 (学生のご飯を作る人は現地で探すか)
教職員食堂:
12平米
教職員厨房:
10平米 (ご飯を作る人は現地の人か教職員自分か)
学生図書室:
40平米 (学生集会室を兼ねてつかう)
倉 庫:
20平米 (スポーツ用品などの置き場)
合 計:536平米/800元
需要 資金:428800元
2.学校の設備:
学 生教室施設:80セット
2人に1セット 1セットは約300元
計:24000元
学 生寝室施設:20セット
2人に1セット 1セットは約500元
計:10000元
教職員寝室施設:5セット
1人に1セット 1セットは約1500元
計:7500元
客人招待所施設:2セット
1人に1セット 1セットは約1500元
計:3000元
共同用浴室施設:2セット
男女各1セット 1セットは約1500元
計:3000元
教員研究室施設:5セット
1人に1セット 1セットは約500元
計:2500元
学 生食堂施設:テーブルと椅子など全部約3000元
計:3000元
学 生厨房施設:いろいろ揃えると約2000元
計:2000元
教職員食堂施設:テーブルと椅子など全部約2000元
計:2000元
教職員厨房施設:いろいろ揃えると約2000元
計:2000元
学生図書室施設:本棚、机、椅子など全部約5000元
計:5000元
需要資金合 計:64000元
総 計:492800元
日本円 総 計:8377600円
教職員の宿舎や、学生食堂はそんなに広くなくてもいいと思いますが、教職員の共同研究室や、学生集会室などがあったほうがいいと思います、そして、浴室や、客用寝室も必要と思います。われわれ会員の中には短期教師となる希望者もいると思うので、客用寝室は主にそういう人たちのために作られるものと思います。
以上の数字から見ればわかると思いますが、大体向こうのお金で50万元必要です。日本円になおすと840万円になります。何回も言いましたが、現地は標高が高く、気候も厳しい、工事できる時間は5月〜10月までの6ヶ月間なので。小学校を建設するために、今年には材料を用意し、曲登に運んでいかないと、来年の工事が始まらないと思います、7月に小学校を視察に行く時ある程度建設金を渡す予定です。会員の皆さん、或いはチベットに興味を持ち教育に熱心な方々にぜひお力を貸していただきたいと思います。
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曲登の子供――基金会の計画では遅くても再来年の9月までに勉強させたい 烏里
烏沙撮影
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知られていない聖地――理塘
烏里 烏沙
白い大雁よお願いがある、私にあなたのつばさを貸してくれ、
遠いところには行く気がない、ただ理塘の上に一回りしてからすぐに戻る。
これは第六世ダライ・ラマツァンヤンジャツォが書いた詩です。
偶然か、或いは第六世ダライ・ラマは預言家なのか、いまだに論争していますが、それはともかくとして、次のダライ・ラマは理塘で生まれました。
理塘は悠久な歴史をもち、土地にも霊気があるところです。ここから出た活仏が現在中国国内で活躍しているのが23人、海外で活躍しているのは18人にのぼっています。
ここは第7世、第10世ダライ・ラマ;第7世、8世、9世、11世パハマ活仏(中国人大委員会副委員長)、第5世ジャムシァンフトゲト、もと第3世モンゴル国師ツェブツェンデァンバ、そして、第1世、2世、3世シァンゲン活仏などの高僧の故郷です。
理塘は四川省の西部、甘孜チベット自治州の西南部に位置し、成都までは654キロ、州府康定までは284キロ、標高は4133メートル、面積は14182平方キロ、人口は5万人、県内にはチベット族ほか、漢民族、回族、イ族、土家族、納西族、ミャオ族、チャン族が住んでいます。そのうち、チベット族は総人口の94%を占めています。
理塘はチベット語で「レトォ」という、「レ」は銅鏡の意味で、「トォ」は平坦な草原の意味で、文字通り理塘は銅鏡のようなきれいなところです。
ここの長青春科爾寺は、カム地方で一番大きなゲルク派のお寺で、カジュ派の発祥地としての冷谷寺は世界にも知られており、ここは5500メートル以上の雪峰が20余あり、特に、東チベットの純美仙境、康南第一峰である聖なる山――ゲレはチベット仏教信者たちの厚い信仰が集まり、8月に行われる競馬祭は歴史悠久、規模盛大で、チベットでも一番大きいな競馬祭ともいわれています、カム地方、特に理塘の男は世界でも勇猛をもって知られています。
理塘の立体形気候や、独特の地質地貌、歴史の流れの出来ごと、そして民俗風情などまさにチベットの縮図となっています。そして、チベット地域(地球上ともいわれ)で最後に残っている唯一の遊牧部落、私たち基金会が小学校を建てる予定地である――曲登郷、そこに住んでいるチベット族の遊牧部落は実に魅力の溢れるところである。
聖なる山――ゲレ
東チベットの純美仙境
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東チベットの純美仙境――理塘ゲレ生態風景区 許
康 栄 撮影
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ゲレ自然生態保護区は、理塘県の西南部70キロ離れている熱柯郷境内にあり、ここの立体形気候と複雑な地質地貌から独特の雪峰、氷河、高山湖泊、滝、温泉、草原と原始森林をそろえる自然景観となり、原始生態はそのままきれいに残っています。主峰のゲレ聖山は、標高6224メートルで、康南第一峰(カム地方の南で一番高い山です)で、チベット地域では「第十三女神」と呼ばれています、道が険しくて、山の頂上は終年雪に覆われ、これまでに日本、韓国、ドイツ、アメリカ、スイスなどの登山隊がゲレ聖山を登頂するため、何回もきましたが、結局、失敗しました、いまでも未登峰です。
となりの山、ガンボガンガ聖山は世界中の24の仏教の聖地の1つとしてよく知られ、『リン・ゲサル王伝』によりますと、1匹の大きな莽蛇
がここを守っています。
山地にはいると、白馬鶏、藏雪鶏、緑尾紅雉などの野生の鳥の鳴き声がよく聞けます、群れなす猿や、盤羊(野生の羊の一種、標高の高い岩など険しいとことにいる)、麝香鹿、鹿などもよく見えます、特に7月のゲレ自然生態保護区は、あちらこちらに一面の高山植物がきれいに咲いて、まるで奇花異草の花園が出現しいるようです。
ここが不思議なのは格聶神山主峰の下の虎皮覇あたりは峠、河川、芝生から1つの巨大な仏像となって、鎮座し、かたちは本物と似ていて、表情もいいし、やさしい顔をしています。仏像の胸あたりはチベット語で「ホゥ・マ・ニ・ベ・メ・ホウ」(六字真言)が彫ってあります。ここに巡礼をすることは少なくともチベット族の人たちの一生の願いです。
伝説によると、ゲレ神山は馬年でなので、特に馬年になると、大勢のチベット族の信者たちがあちらこちらから来て、山を巡礼します。
チベット地域に最後の遊牧部落が居るところ
基金会が小学校を建てる予定地――曲登
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第十三女神――ゲレ聖山標高は6224メートル 許
康栄 撮影
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曲登郷は理塘県の西北部に位置しています。西に巴塘県の措拉区、北は白玉県の昌台区、東北は新龍と接して、県城までは100余キロあります。曲登郷は理塘県のなかで環境はもっとも厳しいところです、ここの最低の標高も4300メートルで、酸素は内地(普通の平原)の40%しかないです。小学校を建てる予定地を視察するため、わたしは去年に2度もこの夢のような神秘的な土地を訪ねました。
チベット族を形成する前に、川(四川)、甘(甘粛)、青(青海)、藏(チベット自治区)民族回廊には古部落12以上のぼり、吐蕃王朝時代、ソンツェン・カンポ王がチベット高原に住む各部落を統一しましたが、東チベットのいくつの部落は随近代まで、独立した集団として存在してきました。曲登郷に居る遊牧民の人たちはモンゴル族の後裔で、昔(元の時代に)モンゴル軍がここに攻めてきてから、現地の古部落の女性と結婚してそのまま残ってきたのだそうです。夏になると、ここの女性たちはほとんどオレンジ色の帽子をかぶっています。伝説によると、かつてモンゴル軍がここに攻めてきた時に皆オレンジ色の帽子をかぶっていたのだそうです。それはひとつの信号(記し)でもあるらしいです。歴史上、かれらはよくとなりの部落と争いを起し、時には中央政府軍と戦ったり、時にはチベット軍と戦ったり、一番ひどい時は雲南省の北部まで追い出されてしまい、ずっと不安定な生活を送ってきました。つい最近かれらはその周囲の部落とやっと和解して、ここに戻ってきました。
はじめてここを訪ねました時に、びっくりしました。標高4300メートルで、酸素は内地(普通の平原)の40%しかない、きびしいと思ったが、村の周辺には、花畑になっている草原、まわりは緑の山、空気が澄んでいて、チベット高原以外では見られない青空、村のすぐそばには小川がゆるやかに流れていて、われわれは目の前の景色に魅了されてしまい、もう大満足、それ以上のすばらしいところはもうないじゃないかと思いました。
9月に渡辺先生とふたたびここにきた時、現地の人たちが、川の向こうの山をこえて、馬に乗って1日で巴塘県境内の超きれいなところ秘境措布溝へ行かれると言いました。渡辺先生は嬉しそうな顔をして、小学校ができてから、日本の学生たちを連れてきて、ここの生徒と交流しながら、一緒にトレッキングして措布溝まで回ってくるのが最高じゃないかといいました。
8月上旬に行われる
チベット一規模盛大な競馬祭
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競馬祭(理塘「
八一賽馬会 」
) 烏里
烏沙 撮影
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7月から8月にかけて、チベット高原では、あちらこちらの草原には競馬祭を行われていますす。その中で規模が一番大きいなのはやはり理塘の「八一賽馬会」でしょう。
8月の理塘、毛亜大草原に一面には花がきれいに咲いて、年に一回の競馬祭がここ行なわれます。競馬祭は現地の人たちは「八一賽馬会」と呼んでいます、一年中もっとも楽しいことで、その日を来るのをずっと待ちこがれているのです。競馬祭の前、理塘県だけではなく、自治州の
勇壮な騎手たち――「康巴漢子」(カムパハンツィ)があちこちからやって来て、競馬の出番をまっています。競馬祭は毎年の8月1日からだいたい一週間か、十日間くらい続きますが、祭りを開催するあいだにチベット民族衣装の披露、チベット芝居、舞踊と音楽、さらに、チベット式のスポーツもやります。競馬の競技もいくつに分けられています、馬に乗って走りながらハダを拾って行くや、弓や銃を打つなどいろいろなショウを見せる楽しい競技をあれば、一回だけで優秀を決める刺激なスピード競馬もあります。競馬祭はまた、遊牧民の人たちにとっては、衣料品などの日常生活用品を入手する絶好のチャンスです。
チベットってどんな国?
石原 静子
世界に国は何百とあるけれど、日本に来る情報には大差がある。ダントツのアメリカをアタマに、チベットは最少の組だろう。そこでチベットの基本的な輪廓を、いろんな本や資料からスケッチしてみることにした。
まずラサのある辺りは自治区、その東から南の四省(青海、甘粛、四川、雲南)それぞれに漢族と混住の自治州がある。面積は合わせて日本の六〜七倍、チベット人は全部で四六〇万人(九八年の本による)いて、その約半分が自治区に住む。平均標高四五〇〇米だから、下から行くと息が苦しいとか頭痛がするわけだ。ラサ年間の雨量は日本の1/3で、晴れの日が一年に三百日もある。夏の昼間は三〇度近いが冬の夜はマイナス十二度、と日本よりずっと自然の厳しい国だ。四自治州は雨がやや多くて、緑の樹々や高山植物が美しいのは、見てきた通りである。
七世紀始めにソンツェン・ガンボという偉い王様がいて、今でも使われているチベット文字を工夫し、インドに学者を送って仏教を学ばせ二大寺を建てるなど、現在のチベットの基礎を築いた。その頃中国は唐で、その王女を多数の妃の一人に迎えたからチベットの方が地位が上だった証拠だ、と主張する人は多い。やがて十三〜十四世紀ごろジンギスハンがユーラシア大陸のほとんどを制したときは、チベットも巻きこまれたが、十五世紀初めには独立を取り戻した。
ダライ・ラマ一世が宗教・政治両権を持つ法王になったのは十六世紀半ば。以来今の十四世まで続くわけだが日本の皇室と違ってみんな坊さんだから、子とか一族ではない。チベット仏教の中心的な考え方は「転生」、つまり人も動植物も生まれ替わることで、だからみんな来世を願ってよい行いをするし、ダライ・ラマが死んだら急いで転生者を捜すわけだ。非科学的なようだが生命あるもののすべてが根っ子でつながっており、時間を超えて続く、という大らかな信念、生命の相互尊重ともいえる。
今と違ってロクな道もない高地だから、自然に鎖国してるような具合で、平和な代わりに世界の動きから取り残された。仏教の信仰は広く深く、寺の数は四五〇〇、僧尼は人口の約1/10を占めた。土地が全部国のもので、個人も寺も借りる形、地代や労役が決まっていて、実行できないと借りが増える。こうして僧や貴族を上層とする封建社会ができて長く続いたが、貧しいなりに人びとは不満なくおちついて暮らしてきた。
そんな奥地だから隣の中国との国境はいつもアイマイ、中国はチベットを自国の一部とか属国と見がちで、チベットの方は独立してると思いこむ、不即不離のバランス状態が長かった。日中戦のときも、蒋介石の国民党が一緒に戦えと言ったが、チベットは断わった。が内戦に勝って中華人民共和国ができるとまもなく、チベットの人民を支配階級から解放するというかけ声で、突然大軍がチベットに侵入してきた。カム地方(自治州辺り)は勇猛な戦士の多い地域だが、兵力・軍備の差は歴然でたちまちラサは陥落、「宗教はアヘンだ」と叫んで中共兵は寺々を破壊し、僧尼を殺したりむりやり還俗させたりした。
一九五九年、ラサを中心に「チベットに独立を、中国人は帰れ」の大規模な抵抗運動が起こり、十四世はインドに難を避けた。やがて文化大革命が起こって宗教文物破壊、僧たち知識人の排除はいっそうひどくなった。毛沢東が死に改革開放となった八〇年代以降、ようやく迫害の嵐がゆるんだところだ。
こうなる前、寺は子どもたちに字や経文を教える学校であり、仏教や哲学を学び研究する大学も兼ねた。中国領となってからは各地に小・中学校ができたが充分でなく、一九八六年の公式刊行物ではチベット人の就学率は該当年齢者の四五%、中学進学一〇%強で、大学は一%を大きく下回る。学校でのチベット語禁止は八〇年にようやく解除されたが、僧を含む知識人一掃のため、チベット人教師の不足は深刻、とある。
中国にはチベット以外にも少数民族はたくさんいて公認だけでも五五族、総計しても中国人口の九%、漢族が九割以上だ(九五年)。少数民族のうち人口最多は壮族の一五〇〇万人、チベット族は七番目で、最少は二千人の部族までいる。が自治区、州、県、郷の面積を合わせると、全国の六四%を占める。つまり少数民族は中国の北辺や西部の広大な山地に散り、漢族は沿海部でますます豊かになって格差拡大中、その不満も各地で高まっているという。
どうですか、これであなたも一応の「チベット通」!?
写真展情報
「チベットへのいざない」
開催日:5月20日(月)〜24日(金)
場所
:和光大学梅根記念室
主催
:世界の屋根探検会
一昨年夏、東チベットの理塘、稲城地方を旅行した和光大学学生が自ら感じた気持ちをその地に住む人々や風景を中心に展示します。
多くの人達に東チベットの厳しい現状を知って欲しいと計画しました。
「雪域聖地情・チベットへのまなざし」
開催日:6月4日(火)〜10日(月) 午前10時〜午後7時(最終日は午後4時まで)
場所
:新宿ニコンサロンbis21(新宿エルタワー28階)
主催
:チベット高原初等教育建設基金会
出品するメンバーの名簿:
秋山 三郎 秋山 雄一 伊東 玲育 烏里 烏沙 大岩 昭之
掛川 泰雄 菊地 栄 小林 進 渡辺 千昭
写真展の内容はチベット自治区だけでなくチベット高原全体をテーマにし、美しい自然、悠久の歴史、豊かな文化、高原に住む人々などを9名のカメラマンがそれぞれの視点から撮影した作品を展示します。
この写真展を通して、チベット高原に住む人々の豊かで多彩な伝統文化のみでなく、彼らの生活や経済の実状も理解し厳しい立場に置かれている彼らに暖かいまなざしをそそいで戴きたい。
尚、オープニングパーティを開催日初日の6月4日(火)午後6:00
から同会場で開催します。
多くの人達の参加をお待ちしています。
(小林 進)
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