Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

・チャン(羌)族・

 チャン族は、総人口が19万8303人(1990年)で、チベット高原東端に形成された海抜高度2000〜3000メートルの岷江(長江水系)流域の峡谷地帯に居住する。このうち、全国唯一のチャン族自治県である四川省アーバチベット族チャン族自治州マオウエンチャン族自治県には、人口の約41パーセントが集中し、同州の理、ウェンチュワン、松藩の各県および綿陽市北川県にも分布する。自称はルメ、ルマ、メなどである。言語は南部と北部の二方言に大きく分けられる。しかし漢族との長期に及ぶ交流、接触のため、北川県や幹線道路沿いの集落の住民を中心に、すでに総人口の約四割がチャン語を話すことができない。また北部方言を使用する大多数は、1950年代の民族識別によって、チベット族となった黒水県のチベット族である。固有の文字は持たない。歴史的には、古代の商王朝(紀元前1000年前後)時代の甲骨文字に記された遊牧民先の末裔といわれる。古代の先は漢族と融合し、あるいは一部が中国西南部の岷江や大渡河、雅聾江などの諸大河に沿って南下した。現在これらの大河流域に居住する四川省のチベット族諸集団やプミ族などは、古代の羌(古羌)の子孫と目されている。彼らはチャン語系に近い言語や巨大な石塔、白石で象徴された山神信仰など、チャン族との共通の文化要素を持つことが指摘されている。

 その後、いくつかの先系集団のほとんどは歴史上から姿を消していったが、唯一、先の名称を持って存続したのが、現在の岷江チャン族である。チャン族は漢族とチベット族という二大民族のはざまにあって、一貫して中国王朝側につき、唐王朝時代には、唐軍の兵として吐蕃王国と戦った。そして一部は吐蕃王国の支配下に入り、一部は寧夏方面に移って、西夏国を建設したが、これも1227年に滅亡した。

 明・清王朝時代は土司制度下でその間接支配を受けた。また「改土帰流」後は強制的に漢族に編入されたものも少なくなく、1980年代に漢族からチャン族に民族名称を変更したものは、10万人余に達した。そのためウェンチュワン県や北川県では、年中行事や祖先祭祀などに漢文化の影響が大きく見られる。

『中国少数民族事典』(東京堂出版 2001年)

写真は「中国各民族」中国民族撮影芸術出版社による


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――――BBC世界の屋根探険会 烏里 烏沙 制作・2003年3月8日――――