Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

・メンバ(門巴)族 ・

 チベット語系のもう1つの民族であるメンバ族も、同様にチベット自治区、ブータン、インドなどの国や地方にまたがっておもに居住している。自称はメン・パまたはモン・パである。統計によると、メンバ族の人口は4万人余りを数える。しかし、大部分は中国・インド国境地帯の東部マクラホマ・ライン以南のインド側に居住しているため、現在中国領内に居住するメンバ族は、わずかに7498人(1990年)である。

 メンバ族の祖先が住んでいた地域は、チベット自治区モンユル南部の門隔地区で、約200年前、一部の人々がチベッメドウト自治区墨脱県まで東へ移動した。現在、中国領内のメンバ族には、2か所の居住集中地区がある。その1つは墨脱県で5000人余りが住み、もう1つは門限北部のツオナ錯郡県であるが、ここの居住人口は600人にも満たない。錯那以南のインド領内は、メンバ族の主要居住地域となっている。

 つまり、メンバ族の居住地区は、チベット自治区からインド、ブータンの交通要路を抜けた、たいへん交通不便なヒマラヤ山麓中の河谷地帯に位置する。門隔地区は、七世紀の吐蕃王国に始まるチベット族が建てた地方政権の支配下に置かれ、そのため、メンバ族は、経済、宗教、文化のうえで、チベット族の制圧と影響を強く受けた。かつてチベット族の貴族統治者は、メンバ族を1つの独立した民族であるとは認めなかったが、1964年になって、中華人民共和国政府はこの民族の意向を受け、ようやく正式に民族集団として認知した。

 メンバ族の言語は、錯那メンバ語と墨脱メンバ語の2種類に大きく分けられる。錯那メンバ語は、達旺を中心とした門墨地区で使われる四方言の1つであり、墨脱メシュバンパ語は、おもに主目と自称するメンバ族が話す倉洛語に属している。これら2つの言語は、音声、語彙や語法の構造がそれぞれ異なり、互いの日常会話は不可能である。

 しかし、かつてチベット族の宗教や文化と非常に密接な関係にあったため、2つのメンバ語はともにチベット語の影響を受けている。したがって、メンバ語のなかには3パーセント以上もチベット語の借用語や漢語の借用語があり、とりわけ宗教・天文・科学技術方面に関しては、チベット語の借用語が多い。

 メンバ族は固有の文字を持たず、チベット文字や漢字を使い、また多くの人々はチベット語を話すことができる。生活習慣や宗教儀礼はほとんどチベット族と差異がなく、文化的観念はチベット族と強い連帯感がある。たとえば、メンバ族の創世神話伝説「猴子変人」と、チベット族の「神猴祖先」は同系列のものであるとされ、大昔の先住民は血縁関係があると考えられている。

 メンバ族は、チベット仏教(ラマ教)を厚く信仰している。各家庭には、簡素ではあるが、仏壇がしつらえてあり、ラマ僧として出家する人も多い。チベット仏教信者は転経、巡礼や、その他の仏事活動をチベット族同様に行い、非常に敬虞である。大きな寺の住職(唇下)は、ラサの有名な寺院から任命派遣され、一般の僧侶の生活も、学経制度がチベット族の寺院とまったく同じである。かつてメンバ族は学識の広く深い高僧を出したことで有ツァンヤンギャムツ才名である。たとえば、第六世ダライニフマ倉央嘉措は、メーター墨達旺地区の出身である。

 生業形態は、伝統的にはソバなどを栽培する焼畑農業を行っていたが、現在は定着して常畑による農業を主としている。また、牧畜や手工業を兼業しており、椀や竹編みでつくった生活用品はメンバ族特有の手工技術で、それらの製品はブータンなどの特産品である柑橘類、果物やトウガラシといっしょに、ラサなどの都市で、メンバ族が行う交易の重要な物資となっている。〔索〕

『中国少数民族事典』(東京堂出版 2001年)

写真は「中国各民族」中国民族撮影芸術出版社による


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――――BBC世界の屋根探険会 烏里 烏沙 制作・2003年3月8日――――